月曜日から五泉市にある、マイタケを製造する工場で働いている。
この冬の期間限定の短期の仕事で、高時給。
募集に飛びついた。
職場までは片道35キロ程、阿賀野川の堤防の上の道を通って行く。
工場は内陸部にあるので、新潟市より雪が降る。
遠いのは仕方ないが、雪道だけが気掛かりだ。
近況です。
海外のコンペには参加したが、落選だった。
まだ少しハードルが高かったようだ。
朱鷺メッセでの展示を振り返ると、そこそこ絵が売れて良かった。
でもこのスタンスで食べていくには到底無理なので、残りの人生を考えて大きな見直しが必要だと感じた。
まだ具体的な目標を定めて無いが、売れる小さな作品を作るより、自然の力を借りた作品は、人を感動するものがあるのでは無いかと考え、そちらにシフトしようと思った。
その為には大きな作品を作る必要がある気がしている。
当然資金と制作場所が必要になる。
そんな時派遣会社から、五泉市の仕事がメールで届いたので、やる事にした。
工場はマイタケを作っている。
正月も休みが無くフル稼働するので、実家に帰る機会がない。
去年はコロナだという事で帰省しなかった。
両親は高齢なので会っておきたい。
そこで働き始める前の、先週の月曜に帰省することにした。
田舎に帰る前に作品を展示中の東京のレストラン、エスクリーバに顔を出そうと思った。
ついでに一泊して、レストランを紹介してくれた友人と会う約束をした。
不思議な事だが、次の日にエスクリーバから絵を撤収して欲しいと連絡があった。
その前に長岡のグループ展が開催中だったので、11日土曜日に会場に行ってきた。
白根でワークショップをしてくれた方がいらして、お話できて嬉しかった。
以前の予備校の生徒さんが、東京から見にきてくれて、感動した。とても嬉しかった。
東京から観に来てくれたのに、ただ売れる、当たり障りのない絵を展示している事が申し訳なかった。
感動する作品を作らないといけないと思った。
月曜日の夜中に新潟を出て下道で東京に向かった。
湯沢では夜道、霙が降っていて視界が悪かった。
関越トンネルを抜けて沼田まで来ると、朝日が登り見事な青空だった。
赤城山、榛名山が良く見えて嬉しかった。
しばらく走ると車内がだんだん暑くなり、窓を開けて走った。
新潟ではあり得ない事だ。
熊谷まで来ると、富士山がくっきり見えた。
以前住んでいた赤山に寄り、飼っていた猫のチビクロちゃんとマルコちゃんを埋めた所で手を合わせて来た。
過去の思い出が蘇り、じんわり来た。
エスクリーバの撤収はあっけなく終わった。
渋谷で友人と共通の友人と三人で飲んだ。
レストランを紹介してくれた友人の話も興味深いが、もう一人の友人の話が新鮮で驚きだった。
寝ずに、食事もせずに働いていた話。
周りの人は体調を崩したりしたが、彼はとにかく働き続けた話。
仕事の代金を自分で決めて、会社がその要求通りに賃金を支払ってくれた話。
自分の仕事に自信を持っているのが、伝わってくる。
150%やり切るという事を力説していて、飲んだ席でも真剣に相手の話を聞き、自分の意見を話す姿勢が印象的だった。
翌日は雨だった。
時間があったので、ホテルを出ると浅草にある、叔母の御墓参りをした。
生前お世話になった事を思い出し、深く頭を下げた。
実家の両親は予想以上に元気だった。
今日は8千歩歩いたと教えてくれた。
3、4年前にガンが見つかり、余命3ヶ月と言われ闘病生活をしていた人とは思えない程、元気だった。
次の日は叔父にあったり、高校時代の友人と飲んだりして過ごした。
夕方、昔偉いお坊さんが修行をしたという山に登り、山頂の岩山から鈴鹿山脈の向こうに見える夕陽に手を合わせて来た。
次の日は両親と温泉に行った。
両親も温泉に浸かるのは3年ぶりだといって喜んで行くれた。
日曜日には長岡の絵を撤収して来た。
グループ展のメンバーは、僕以外全て女性で若い人達ばかり。
お父さんみたいな年齢の自分と、話を合わせてくれて、ありがとうございました。
遠くから見に来てくれた方、ありがとうございます。
次の飛躍の為に、また明日から働きます。
マイタケ工場で働きながら、夜は
クリニックの仕事をします。
明日は大雪みたいで、ちょっと不安です。
焦らないように気をつけながら、運転します。
皆様は、どうぞ良い年末年始をお迎えください。