一隅を照らす

今日は武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授で、有名なデザイナーでもある原研哉さんが、予備校に来てくれて基礎デザイン学科のお話をして頂いた。
話を聞き終えた帰り道、暗い中をいろんな考えが次々に浮かんでは消えてと、ある種の感動が残っていた。
世の中には無限の可能性が広がっているような気がした。

お話の内容は、実際に大学の授業で学生達がどんな事を考えて、どんな作品を造っているのかを、映像を見ながら原さんが解説してくれた。
「しわ」の研究をするといってゆで卵に、しわを寄せてみたり、地図上のしわ(大地に流れる河川)をチョイスした地形図やら、他にもいろんなしわに着目していておかしかった。
他にポケットを売る架空の会社を立ち上げて、色々な形状や色のポケットを考えたり、会社の宣伝広告やロゴマークうを造ったり、他にも面白いプロジェクトがたくさんあった。

一見くだらない事、あるいは日常の何気ない事を深く掘り下げる事で、新しい発見が生まれる。という事のようだ。

こんな人の授業を学生時代に受けられるなんて、良いなあとうらやましかった。

ぼくも学生時代に一つだけ心に残る言葉がある。これまた有名な工業デザイナーの栄久庵憲司さんが大学の授業で講義に来てくれた時に、「一隅を照らすは天下を照らす」というものだった。その当時聞いた時にはポカンとしていたのだが、今になってみてその言葉の意味が良くわかる気がするのだ。

最後に質問タイムがあり、受験科目に小論文があり、そこでどのようなものを求めているかという話で、原さんは、何でも良い下手でも良いから伝えたい事がしっかりあって、伝えようとしている事とあたりまえのようで、大切な事だと思った。
別に何か特別な芸当を見たい訳ではない、今の自分を掘り下げてみる事、そんな事が大切なのかもしれない。