蕨野

昭和41年改測、平成17年発行、の国土地理院の地形図を持って、日曜日に妻と米山に行って来た。
車に折り畳み自転車を積んで、蕨野という所を目指した。
蕨野というだけあって、日野当たる道の両脇にたくさんの蕨が生えていた。
途中坂道を自転車を押していると、草が茂った道路脇からひょっこりと現れて、4、5メートル先の草むらへ、茶色い小さな生き物が走って行った。
イノシシの子、瓜ボウだった。
国道近くに車を停めて、ほとんどが砂利道を一時間程登った所に、電柱が現れて木立の中に家が現れた。
手前の家はなんとか住めそうだ。住んでる人が居るのかもしれない。
その隣には、崩れ果てた住居の残骸だけが残っていた。
さらに坂道を上って行くと、道が分かれていて、石碑が建っていた。
蕨野部落跡地昭和47年11月解村と書かれていて、戸数14戸の地図と神社の位置が記されていた。
雪深い山奥で、集落の人も高齢化して、除雪作業も大変で、そういうことになったのではないだろうか。
自分の生まれ故郷が無くなってしまうというのは、どんなことなんだろうか?と感慨深かった。
次の集落に抜ける道は草が生い茂り、草をかき分けて進んだ。
谷根で聞いた話では、ここも北国街道が通っていたそうだ。
林の中に山紫陽花が咲いていた。