新潟に戻って来た。
空港からバスに乗り、駅までの通り沿い。
並んだお店を見ると、見慣れない新しいお店があったり、こんなお店があったんだと、新鮮な気持ちで街を見た。
この春リニューアルした新潟駅前はすっかり変わって、みんな新しい駅にも慣れてしまったようだった。
対馬での暮らしは、まずはシンプルな自然がある。
街に行くといつも通い慣れたスーパーや、ホームセンターなど。
いつもが、変わらない営みだった。
なんだか浦島太郎になったような気がした。
昭和の雰囲気の対馬から帰ったら、令和6年になっていた。みたいな気分だ。
話を前回のお墓参りに戻しますと。
同行していた人に先に行ってもらい。
僕はライトを付けずに、足元がよく見えないので、よちよち歩きみたいな速度で進んだ。
石や木の根があり、足で探りながら進んで行く。
僕は一人になりたかった。
灯りがうんと遠くに行くと暗闇に包まれる。
ふと周りを見ると、蛍が飛んでいたり、森の中にポツポツ光が見えた。
よく見ると一筋並んで光っていたりする。
キノコが光っているようだ。
蛍より小さな光で、か弱い光を放っている。
その日は日中濃い霧に包まれていた。前日は大雨だったので菌類の動きも活発なんだろう。
一筋に並んでいるのは、倒木にキノコが並んで生えているからだとわかった。
偉人のお墓に失礼にも夜に入り、こんなに感動的な景色が見られて幸せで、何も怖くはなく、静かな暖かい森の空気に包まれて、むしろ心地良かった。
しばらくするとどっちだろうと、茂みの中で彼が待っていた。
こっちでしょうとお知らせして、また先に行ってもらった。
木の葉のトンネルの中は、流石に真っ暗で何も見えないので、所々ヘッドランプを付けた。
少し行くとまた彼が止まっていて、鳥居があって、そのさきに屋代があった。
もうここで終わりでしょう、と彼が言ったが、僕は昼間の偉人のお墓を写真で見た事があったので、いやまだ先に道があります、と言って道を探した。
屋代の横に細い道を見つけ、今度は僕が先に行った。
彼は僕の先を照らしてくれて、ライトが邪魔だったら言って下さい。消しますからと言ってくれた。
ちょっと進むと大木があった。ライトを消してもらった。
わずかに幹が光っている。
菌類か、苔か、立ち枯れした幹が、発光しているようだ。
そこでこの場所は明治時代まで、人が入ってはいけない場所だったと、彼にお話しさせて頂き。
興味本位で行くところではないと、失礼ながら説明をした。
さらに道は険しく、石も大きくて進みにくくなって、見ると立て札があり、ここから先は土足厳禁と書いてあった。
彼に先にお参りさせてもらいますと断って、僕は靴と靴下を脱いで歩いた。
しっとり濡れた木の葉の感触が、なんとも気持ちよかった。
暫くして偉人のお墓が現れた。
お墓を照らさないようにヘッドランプを付けて、地面を照らした。
宿の主人が用意してくれた、お神酒と塩をお墓にお供えをして、お墓の前に両膝を付いてお祈りをした。
自然に感情が込み上げてきた。
何かのご縁で対馬まで来たこと、こんな機会が得られてとてもありがたくて、感謝の気持ちでいっぱいになり、いつまでもこの美しい島の自然が守られますように、とお祈りをした。
それと、皆さんを感動させる作品が作れますようにと、私事をお祈りした。
引き返すとその人も待っていてくれた。
お礼を言って、あなたもどうぞ、と言ったがその人は遠慮して、帰り道に向かった。
帰りながらも、時々振り返り、偉人に御礼を言って頭を下げた。