故郷っていいなあ

故郷の岡崎には、19歳迄住んでいた。

当時高校を卒業したが、東京芸大のデザイン科を入試して、当然ながら落ちた。

一浪目は名古屋の河合塾に通ったが、残念な結果に終わり、親に後押しされて東京に出ることにした。

 

東京で一人暮らしを始めた頃の晴々とした気持ちが忘れられない。

誰にも干渉されることなく、自分で好きなものを食べて、好きな時間に寝る。

ご近所に浪人2年目だという後ろめたさもなく、予備校に通い暮らした。

二浪めも自信満々受験したが、不合格だった。

それからが長かった。

 

結局5年も浪人して、目指す大学に合格した。

その間岡崎に帰ろうなんて、思ったことは無かった。

 

自分に自信もなかったし、5浪もしたなんて恥ずかしくて、同窓会の誘いも断っていた。

 

それが今年の6月頃、今回小学校の同窓会の幹事をしてくれた幼馴染が、わざわざ実家迄訪ねて来てくれて、親から僕の連絡先を聞いて、僕に同窓会の連絡をくれた。

電話をもらった時点では、あまり良い思い出の無い岡崎に、もう随分ご無沙汰している小学校の同窓会なんてほとんど行く気がしなかった。

 

そんな気持ちが変わったのは、妻とも話し合い、新潟で活動していても変化が無い、この辺で勝負をしなくては行けない。

という事で、とりあえず実家の岡崎はホテル代も要らないし、多少知り合いがいて、手掛かりもある。現実的に展示をするのに都合が良いと思った。

カレンダーも沢山刷ったので売らなくてはいけない。

多少なりとも人が集まった方が良いので、同窓会の期間中に展示をする事にした。

 

一度岡崎に出向いて、ギャラリーを予約して、それからが引っ越しやら、写真展やらで大変だった。岡崎のDMも沢山刷って、さてギャラリーには必要な枚数を送ったが、残ったDMをどうしたら良いかわからない。

とりあえず両親に沢山送り付けて、美術館などに配って欲しいと頼んだ。

残ったDMを同窓会の幹事をしている幼馴染にお願いすると、快く引き受けてくれた。

 

その後その友人から、知り合いの市議会議員から、国会議員にも連絡がわたり、僕のホームページを見て、良いねと言ってくれているとか、同窓会の人にラインで伝達してくれたと連絡をもらった。

高校の担任の先生も、わざわざ高校の同窓会や、美術部の人達に声を掛けたとメールを頂いた。

自分の知らないところでどんどん輪が広がっているようで、驚いた。

 

その後引越しに追われ、一呼吸着く暇もなく岡崎へと向かった。

 

展示の初日から幼馴染の友人が駆けつけてくれて、夫婦で展示の手伝いをしてくれた。

僕の代わりに絵の説明をしてくれたり、とても人当たりの良い彼は、来てくれた人と会話をしながらも、あくまでも僕を引き立てようと、自分が出しゃばらないように気を遣ってくれているのがありがたく、嬉しかった。

 

同窓会では、目の前の同級生であっただろう人が一瞬誰だったかなと思いつつ、脳みその引き出しの奥からするすると昔の記憶がなんとなく蘇り、お酒も入って暗い室内で、歳を取ったけど幼馴染だなあと、お互い昔はああだった、変わってないねと話しながら、あっという間に時間が過ぎた。

 

次の日も幼馴染の友人は一日中手伝ってくれた。

彼はすっかりギャラリーの人とも気があって、共通の話題で盛り上がって僕も嬉しかった。

撤収も展示を見に来てくれた、小学校の同級生と、二人で手伝ってくれて、あっという間に5日間の展示が終了した。

 

新潟に帰ってしばらく、幼馴染の彼と奥さんの事、同窓会で久しぶりに会った、みんなの事

今回展示に来てくれた多くの人たちの事が、ふとした瞬間に思い出されて、故郷っていいなあ

と今思うことです。

その手伝ってくれた彼が、自分の大切な宝物を分けてくれた。

それは僕にとっても大切な宝物になり、今アトリエの窓際に置いてあります。

 

また皆さんと会える時が楽しみです。

貴重な時間をありがとうございました。

宝物