回想2

自分がこの道に至った経緯の続きですが、ぼくは小学校に入っても低学年の頃の記憶が余りありません。
つい2、3年前になりますが、母がぽろっと話してくれた事があって。ぼくが小学校2年の授業参観日の日に母が学校に行ってみると、僕の机が独りだけ皆と列を外れて、先生の机のまん前に置かれていたそうです。それで母がなんで息子を独りだけそんな所に机を配置してるのか聞いてみた所、ぼくがぼーっとしていて授業に付いて来れてないので常に監視してないといけないんだと言われた。と言う事でした。そんな事があっったなんて初耳でした。(笑
僕自身はからっきし思い出せません。

その後小学校3の担任が体罰をする人で、しかも男と女の子との手加減の差が甚だしく、男には手加減無くひっぱたかれるのですが、女の子には優しい。小学生からもあの先生はひいきする先生と言われていた先生でした。その先生が担任の3学期最後の通信簿のぼくの評価がABCの評価なのですが、図画工作がAで、あとはみんなCという結果でした。
子供ながらにこれはまずいと思い、見せたら親に
[%7C%7C%7C]

怒られるんだろうと思っていたら図画工作がAで良かったというような事を母にいわれて、漠然とぼくの得意分野はこれしか無いと思ったのかもしれません。
その後も中学校の美術の先生にはよく作品を誉めて頂いて、他は駄目だけど美術に関しては、皆よりも優れてるんだという優越感をもっていたんだとおもいます。


写真はまたも新潟の写真です。