余計な事

うちの奥さんは社交的で知り合いが多い、今日は昔親切にしていただいた方がお亡くなりになられた。
という事で、お通やに呼ばれて、僕も付いて行った。
あわてて、夏用の礼服を購入して、慣れないネクタイを締めて、斉儀場へ向かった。
式もはじまり、和尚さんがお経をあげてる時に
奥さんは死んだらたくさんの人が顔を出してくれるだろうな。
しかし、自分が死んでもどうかな、あんまり尋ねてくる人も居ないだろうな。
その人が式に出た数と、その人が亡くなって式に訪れる人の数が比例するのかな?などと余計な事を考えた。

写真は近所の小川の脇にある木です。
先の新芽が少しだけ残されて、異常に繁殖したケムシに丸ごと食べられたあとです。
ほんの少しだけ新芽を残すのは、毛虫の慈悲の心なのか、たまたま食べ忘れたのか、新芽は食べにくかったからだろうか?
食べ尽くした毛虫達は、次の食べ物を探して草木を渡りついで、まわりの来にも取り付き、それらも食べ尽くさんばかりの勢いでした。
おそらく何万という数で、草むらを歩いていたらいつの間にかズボンやTシャツにくっついていた。

カメラが修理から戻って来ました。
心無しか、前回よりはやく、応対も丁寧でした。よかつたよかった。