新潟生活3

今日は、アップフィールドギャラリーの上野さんが、柏崎の博物館で開催中のトンボの写真展をディレクションしたというので、見に行って来た。
帰りの弥彦付近からの日本海に沈んだ夕焼け空がこの上なく美しく、みんなみんなが感動してた。
携帯やら、デジカメやらみんな構えて、この瞬間を記録しようとがんばっていた。


以前SEIYUにホームレスの人がベンチに座って何日も居た。
ちょくちょく見かけて、気になっていて、ある時どうぞと言って半額になっていた弁当を買って差し上げた。
その人が満面の笑顔で「どうもありがとうございます。いただきます。」と返してくれて、その時は良い事をしたのかな?と思っていた。
それが次の日も、また次の日もと続いて、いったい、いつ迄続くんだろうと不安になり、ぼくの不安な気持ちを察してか、その人も最初は喜んでもらってくれてていたのが、しだいに僕を見ると何処かへ言ってしまう事があったりもした。
ある日、12時を過ぎてお弁当を持って行こうとした時、いつものベンチから店の裏に向かうその人を見掛けて、合点が行った。
きっと消費期限の切れた弁当なんかを貰っているのだろう?

それから僕は「毎日毎日上げる事が出来ないです。」とその人に伝えた。

その当時はなんだかわからなかったけど、今考えると完全にぼくがその人に与えてやっているという感じの押し付けがましい、好意になっていた気がする。

それからはお互いに挨拶はするけど、よそよそしい感じになった。

周りの人は、無関心な人がほとんどだった、たまに話をしているお年寄りが居たりした。

冬の寒い日なんかは堪えるらしく、ベンチに座らずに立って震えていた。年末にはまた気まぐれで美味しいものを差し上げたら、喜んでくれたが、その人も居たり居なかったりが続いた。

震災直後に会った時声をかけたら、「辛いですねえ、どうにかこうにか生きてます。」と笑顔で言っていた。
丁度計画停電やら節電やら、スーパーにも物が無くなった時でもあった。

そしていつ頃からだろう、姿が見られなくなった。

たまに、なんであの人は毎日SEIYUに来ていたんだろうと、思う事があり、疑問だった。

先日マンションからパジャマ姿でおっ放り出された。
何も無い状態で行き場が無くなった時考える事。

食料や寝る場所など、まず大事だ。
それと誰にも頼る事の出来ない孤独感、これが大きいんだろう。

そのホームレスの人も、自分がもう一度社会との接点を持つ、唯一の場所としてSEIYUがあったのだろう。
みんなと話したかったんだろう。